2012 / 7 / 20

64歳 「書道を教え続け、還暦を過ぎてから花開いた」

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【生年月日】
1948年6月20日64歳
【出身地】
大阪府守口市
【現在地】
大阪府阿倍野区
【職業】
書道の先生
【真面目な子ども時代】
3人姉妹の長女なんです。一番上ということで、親には厳しく育てられました。学校では大人しくてクラスで目立たない存在でした。小学校の4年~6年を受け持ってくれた担任の男の先生が学者肌で教え方が上手で、とても素敵な先生だったんです。自分はどう考えてもクラスのお嬢様たちと違ってそのままで周りにチヤホヤされるタイプではないと感じていたので、とにかく勉強を頑張ろうと。先生の机の上に置いてあった「自由自在」という問題集を親にねだり、自分で予習や復習をするようになりました。本もよく読んでいて当時の文集には「無人島に行って、キュリー夫人になります」と書いてあります(笑)。自分で学ぶことの面白さ、復習の大切さなんかを、この時に覚えたように思います。
【導かれるように、書道の道へ】
母の勧めで小学校6年の時から英語塾へ通っていたんです。その塾の先生の娘さんがとっても綺麗で優しくて憧れの人でした。「この人みたいになりたい!」と、同じ高校へ行こうと決めたんです。成績はトップクラスだったので、学校の先生にはもっとランクが上の進学校を勧められましたが、聞きませんでした。

高校へ進学して周りが見えてくると、少し迷いが出てきたんです。その高校も大学への進学率が決して悪いわけではないのですが「本当にこの学校で良かったのかな?」と。
でも、やはり運命の出会いというのがあって。
芸術の専攻科目では消去法で書道を選択したにも関わらず、その先生が素晴らしくて、書の世界へのめり込むことになったんです。一本の線は、もう二度と引くことの出来ない線で、その瞬間に魂を込めてしたためるという、書の魅力に取りつかれてしまい「書道は哲学だ!」というように。若気の至りね(笑)。
私がやっていたのは「前衛書道」と呼ばれるものです。基礎が出来てなかったので、後からやり直しました。この時、効率よく基礎を身に付けるためにまずは理論を学んだんです。この経験は後に大人や外国人に書道を教えるときにも役立ちましたね。
花の女子大生になっても、恋もせず、とにかく純粋に勉強と書道の日々を送ってました(笑)。

【仕事の道を模索して】
「英語」と「書道」を活かすための道はないかと考え、文部省に手紙を送りました。「ブラジルの日本人学校で書道を教える先生になりたいです」と。「女性は採用していない」という返事でした。
当時は、女性の就職先は限られていたし、高卒のほうが優遇される時代でした。4年生大学卒業の女子は「女のくせに生意気だ」とか「すぐ結婚して退職してしまうから」等と言われていたんです。
結局、親にお見合いを勧められて一人目の人と結婚しました。現実と折り合いをつけることの大切さを学んだように思います。今の若い人たちは「折り合いをつける」というと自分の気持ちに嘘をつくような、あまり良くないイメージを持っているように感じるけど、気持ちよく生きるためには必要な心持ちだと思います。

【書道を教えながら、学びながら】
20歳くらいのときから近所の子供たちに書道を教えていました。結婚して赤ちゃんを生んで「やっぱりもう一度、書道を人に教えよう」と思いました。何でも辞めてしまうのは簡単です。とにかく書道を続けたいという一心で、自分でチラシを作り、7ヶ月になる娘をおぶって一軒一軒ポスティングをしていきました。
特別な実績があるわけではなかったのでコツコツやっていくしかないなと。そのうち問い合わせが来るようになって、続けていくうちに娘や息子の友達が教えてほしいとやって来て。また「外国で書道を教える」という夢も思い出すんです。
ちょうどYMCAでチューター(外国人のトーキングパートナー)の募集を見つけたので応募しました。とにかく、外国人と出会える場所へ行こうと思って。そしたら施設のロビーでお習字を教えることになったんです。少しずつ外国人とのネットワークと繋がって自宅の教室へ習いにくる外国人の生徒さんも増えました。

自宅では2時間のマンツーマンレッスンをしているのですが、外国の方はみなさんすごいですよ。月謝の値段交渉もきっちりしてくるし、時間を目一杯使って学ぼうとする。私が持っている本や資料、知識をどんどん引き出そうとするんです。また、実技では私の手の甲や、筆の運びをじぃ~っと見ています。日本の方は出来上がったものをあれこれと言う傾向がありますね。

レッスンではお菓子なんかも用意して、まずは書の理論や哲学を伝える座学を行い、その後に実技を教えています。「水筆」などの基礎練習はおうちでも出来るから、やって来てもらうんです。
今は、何でも「1コインレッスン」というのが流行っていますが、少し疑問に感じています。私の教えは大学の学部生に対してのレベルを目指しているんです。色んな方を教えながらお金を頂くことの意味をよく考えるようになりました。

【60歳を過ぎて】
日常に夢を引き寄せたんです。書道の先生では食べていくことは出来ません。だけど「食べていく」ことと同じくらい「書道」は大切だったんです。教え続けることで、書の世界とずっと繋がっていることが出来ましたから、本当に良かったと思います。

「中日国交正常化40周年」の記念イベントや気流部さんに声をかけてもらったり、60歳を過ぎてから花開いた感があります。また、堺YMCA や長居ユースホステルでも書道クラスを開講したのも還暦を過ぎてからです。

最近では、公園で「ピクニック書道」を開催したりして、無料で、誰でも書道を楽しめるようなイベントも企画しています。色んな方と集まって文字を書くのは楽しいですよ。筆の運び方ひとつで、色んなものが見えてくるから。
これからも多くの方と関わりながら、書の魅力を広めたり、書で交流することを楽しんでいきたいですね。もう先が長くないので、体力と時間との勝負かな、という気がしています。

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●取材者コメント(なら)
素敵な先生は“その道”を通して、人生や宇宙を見せてくれるような存在だと思うのです。chiekoさんはそんな書道の先生です♪

【i NAME】chieko