2012 / 6 / 22

40歳 ♯新しい交流の場「ヒメジガハハゲストハウス」

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【生年月日】
1971年12月14日 40歳
【出身地】
兵庫県姫路市
【現在地】
兵庫県姫路市
【職業】
ヒメジ ガハハ ゲストハウスのオーナー
【外国人との出会いと交流】
大人しい子どもでした。ある日、自動販売機の前で姫路城へ観光に来てた外国人にお金をもらったんです。多分1セントかなんかだったんだけど「外国人はお金をくれるのか」と味をしめて英語を勉強しだしました(笑)。おかげで中学、高校と英語の成績はトップクラスだったんです。
高校生の時に英会話合宿へ参加して、初めて海外の方と実際に交流を持つことが出来ました。英語が好きだったので本当は留学したかったのですが、父に「英語が喋れるようになることが目的だったら行かせない」と言われて叶いませんでした。
そしたら、ある日、インドネシアのバリ島に行けるセミナーを見つけたので、親の印鑑を勝手に押して応募しました(笑)。当時、ちょうどティモール島が独立するかしないかで、インドネシアの情勢が不安定な時期だったのですが、そしたら「インドネシアに平和をもたらしてくれる、使者がやって来た!」と、とても歓迎されました(笑)。

【航空会社→テレビ→3セクへ】
就職はNHKを目指していましたが、落ちたので、マレーシア航空に就職しました。ただでチケットをもらって色んな国へ行ってましたね。4年間働いた後に、テレビの制作会社へ就職しました。ここが「DNS」という会社で、意味は「documentary news satellite」の略な割にドキュメンタリーを撮っていない会社だったんです…。で、そんな会社で情報番組を7年間くらい作っていました(笑)。

そのうち「まちづくり」に関係する会社へ興味がわいてきて、「次は3セクへ行こうかな」と、財団法人大阪21世紀協会で働きだしました。
この時に京都でやってる「百万遍さんの手づくり市」へ遊びに行って、すごくいいなぁと思ったんです。「若者を喋るためにお店を出している」というおじいちゃんがいたり、フランス菓子を売ってる人がいたり。それで、友だちと一緒に「姫路手づくりてんこもり市」を始めることにしたんです。どうせやるなら、最初から規模の大きいちゃんとしたものがやりたくて、市へ交渉しましたが相手にしてもらえず、すると商業施設が場所を貸してくれることになりました。出展者の数は120~130くらい。今も続けています。

【交流の場所が作りたい】
手づくり市へ遊びに来てくれる外国人のバックパッカーや、もちろん日本人の方も、みんな姫路のことを気に入ってくれて「めっちゃいい街だね!」って言ってくれるんです。
次第に、そういう人たちの交流の場をつくりたいなぁと思うようになりました。また、この商店街は女子校時代の6年間通った道で、今も高校生たちが登下校で通る道なんです。好奇心いっぱいのその年代に、地域の大人たちや違う国の人と交流出来る場所があるといいなぁと思ってて。それで「ゲストハウスを開こうかなぁ」と思うようになりました。
それからは、家島の空き家をゲストハウスにするプロジェクトへ参加したり、京都のゲストハウスにヒアリングへ行ったりして実現へ向けて動き出しました。

【ゲストハウス設立へ】
本格的に場所を探し出してからは、仕事のない土日にはずっと不動産屋巡りをする日々でした。ただ、このへんの商店街は地主の方が多く「貸す必要がないので、空き店舗のままになっている」ケースが非常に多いんですよ。それで、近所の人をつかまえて泣き落としで情報を仕入れたり、手紙を書いて投函したり、家主さんに呼ばれて神戸まで出かけていったり、色々やりました。

「やるって決めたから、ゼッタイやる!」と心に誓って、1年間みっちり不動産探しをしていました。「何十件やってダメだったら辞めよう」「今年度だめだったらあきらめよう」という具合に、ねばり強く続け、今の物件を購入することになりました。

2011年11月にオープンしました。ご近所の方も良くしてくれるし、しかも想像以上に面白い人たちが遊びに来てくれます。イベントを開けば地域の方と旅人が交流を楽しんでくださって、夢が叶いました。高校生たちも入口からこっちを覗いて声をかけてきたり…。
今後もたくさんイベントを開いて、見知らぬ人と喋ったときの「通じた!」という感覚をたくさん生みだしていきたいと思っています。

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●取材者コメント(なら)
度々行われているイベントがとっての楽し気なんです。「おすすめ映画をメチャ推しする会!」「押忍!うどん部」…松岡さんのクスリと笑えるセンスが随所に光る、そしてまた心遣いと、心意気のある宿です!