2012 / 2 / 1

34歳 ♯大自然の中で培った感覚を生かして。

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【生年月日】
1977年10月11日 34歳
【出身地】
高知県
【現在地】
大阪府交野市
【職業】
大阪産業大学工学部建築・環境デザイン学科助手(研究内容:住民の人達で作る景観の可能性や団体同志の繋がりなど)
【大自然から都会へ】
高知で生まれ育ち、7歳のときに大阪へ。
高知はとにかく緑がたくさんで、敷地に境界線がないので自由に遊べるけど、大阪では、街への不安や身の危険を常に感じていましたね。その感じがずっと続いてて、大学進学時は土木や木を守る薬品関係も考えていました。当時はまだ「環境」や「自然」に対する意識が低くて学科も少なかったんです。片親ってこともあり経済的に受験出来る学校が絞られる中、予備校の先生に勧められ、大阪産業大学「環境デザイン」へ進学しました。京大や大阪府立大学も受けたんですが、落ちました(笑)。

【デザインとは何ぞや】
入学してみると、「環境デザイン」は「環境」ではなく「デザイン」を学ぶ学科だったのですが、学びながらもデザインに対する不信が募るばかりで(笑)。「有名な建築家の、これは本当にいいのか?」という、疑念。学術的なものに必要とされて、それを住民が褒めるというプロセスにリアリティが持てない。それを逆に出来ないのかと。市民が納得した上で成り立つようなシステムはないかと。
そんな時、その方面で実際にワークショップやイベントを開いていた山崎亮さん(studio-L代表に出逢いました。
一つの大学内にいると、その空気に黙殺されてしまうという空気感が存在するのですが、その会では色んな価値観や相手の考えを否定しない、認め合うというのが暗黙のルールとして存在していましたね。

西上さん(studio-L初期メンバー)が、大学院の卒業設計で姫路市家島に入るというので、そのプロジェクトに参加しました。地縁が深い土地だったので、自分達の正論を語ってもよそ者扱いされるんです。それで当り障りのないプロジェクトをやると、地域の人たちが手掛けるものと似たようなものになってしまう。そこで「いくら島人に同化しようとしても、無理だ」と気がついて。お互いのギャップを明らかにして、そのギャップ、よそ者の視点を利用したプロジェクトをしよう、ということで、「探られるしまプロジェクト」が始まりました。
繰り返し訪ねることで、島人たちも「あの子ら、島でなんかやってるな」と認識してくれて、フランクに喋ってくれるようになり、以来、家島との付き合いは5年続いています。よそ者としての視点とアクションが、日本社会と自分達を結ぶことが出来たと感じましたね。

大学院卒業後の進路を考えたとき、デザイナーとしてやっていこうかと考える一方で「人と一緒にワイワイと作業すること」に満足している自分を感じて「高校の先生もいいかなー。」などと考えたりもしました。
フリーで仕事をしながら「納得いく仕事は何か」と探していると、「家島の助成金の審査員をやらないか」という話を頂いたり、大学助手の話をもらったりして「既存の職業の隙間を繋げる立場になればいいのでは」と考えるようになりました。

教員の仕事は「教えて育てる」というイメージからはかけ離れたものでしたね。自分の考え方や実践をプレゼンし、再確認・再修正してくれる場所です。人に喋ることでもう一度自分の中で確認し評価することが出来るので、“シェアしながら進めていく”という感覚です。

【3.11と、自分の運命】
3.11が起こり、津波に全てを流され、社会的な問題があぶり出されて。今ある社会システムは、利益を求めたシステムであり、そこで作られる機会は実は薄っぺらいものだったという一面が見えたと思います。日本に住むこととは、地球とリンクして生きていくことこそが正しいのでは・・・と。自分の中では、自然の多い土地から都会へ引っ越してきて、漠然と感じていた危機感のような幼少期の体験が再び思い返されています。

自分が周りに対してどう振る舞い、どう接すればいいのかを考えながら、常にバランスを取っていたように思います。友達や先生には恵まれていたし、ムズカシイ時期も、家族が自分のことを切り捨てずに繋ぎとめてくれていたと思いますね。

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●取材者コメント(Y)
自分の思いのある土地や人を大切にしたいな、と思いました。