2011 / 10 / 4

37歳 ♯職人→教師→その先に見据えること。

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【生年月日】
1974年10月4日 37歳
【出身地】
奈良
【現在地】
神奈川県川崎市
【職業】
製菓専門学校 講師
【野球漬けの毎日】
小学校4年生から野球を始めて、ず~っと野球ばっかやってました。当時は阪神の全盛期で、「ホームラン打ちたい!ヒーローになりたい!」っていう単純な気持ちでしたね。今、身長185センチあるんですけど、もう小学校6年生の時点で178センチくらいあったしね。体格は良かったです。
高校は智弁学園という野球の名門校へ入学しました。入学して一番最初の公式戦がどえらい接戦、すごい試合で「すごいなー。」と、すでに他人事のように感じてました。
プロ野球とかを考えてはなくて、でも、そもそもが「野球入学」してるし、五条の山奥の寮に入ってるしで、恋も出来ず、野球ばっかしてましたね(笑)。
【実家の菓子屋を継ごうか、】
大学は行こうと思って色々探すねんけど、高校に「野球推薦」で入ってるから、大学も「野球」の道しかなくて、色々野球の入学テストを受けたけど難しくて。それでうちは実家が奈良でお菓子屋さんをやってるので、まぁお菓子かなぁと思って、親に勧められた東京の製菓の専門学校に入学しました。
それまで実家の手伝いなんてしたことなかったし、学校入って、初めて菓子を焼きましたね。授業の内容もあんまり覚えてなくて、それよりも東京に出てきて、放課後に皆でわーわー遊んでたのが楽しかったかな。

卒業後は、大阪の菓子屋に就職しました。最初の年は手が荒れてキツかったな。で、「どうしてもやりたいような事じゃない」ってのは分かってたし、でもどうしてもやりたい事なんて、簡単には見つかるものじゃないしね。で、とりあえず3年働いたかな。
その後、親友が山陰地方に10店舗くらい展開してる有名な菓子店やってて、そこへ誘ってくれて。山奥で何も考えずにがむしゃらに働くのもいいかと思って、5~6年やったかな。朝から晩まで働きっぱなしで。厳しかったです。

その後実家に戻るものの、店には入らず、配膳の色んなアルバイトしてました。バイトだと責任も重たくないし、色んな世界を覗けて楽しかったな。そこでも色んな仲間が出来たりしてね。
で、親もうすうす「店、継ぐ気ないんやろ」って分かってたたから「30歳も過ぎて、この先どうすんの」って言われてた時に、通ってた製菓の専門学校で講師をしないかっていう話が来て。
これも何かの縁やと思ったし、「東京戻りたいなー」とも思ってたし、配膳先からは「そろそろ社員になったら?」って言われてたし、、色々な縁がかみあってね。
先生になって、今で5年目。2回分の卒業生を送り出してて、卒業生たちと遊んだり、配膳時代の友達にも会ったりね。
実家の菓子屋は、これも色々あって、オーナーが現れて、ほんでもって友達の菓子職人が“和カフェ”に改装して継いでくれることになって。
自分はもともとミーハーってこともあるし、東京に出て来てよかったと思います!

【ヒトありきの生き方探し。】
やっぱり何をするにしても人ありきやと思うから。今の学生の子ら見てても、「お菓子作りの理論」を教えるのは勿論大切やねんけど、ヒトに会うことや、コミュニケーション取る方法とか、そういうの教えてあげるといいんちゃうかなーって感じてて。
今の時代は、「すぐに辞める」のも問題やと思ってて。「モチベーションの保ち方」や「脳には周期がある」とかね、そういうことを教えてあげられる学校が作りたいんよね。

まぁ、菓子でも例えばボランティアでも、何でもいいのよ。皆でワイワイ出来ればね。

今は、学校を作るための具体的な何かをしているわけではないんやけど、色んなセミナーへ行ったり、体験を通して、視野を広げながら将来のことを考えています。

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●Y取材者コメント
「どうしてもやりたい事なんて、簡単に見つかるものじゃない。」と知っていることは、とても強いと思いました。