


高校は智弁学園という野球の名門校へ入学しました。入学して一番最初の公式戦がどえらい接戦、すごい試合で「すごいなー。」と、すでに他人事のように感じてました。
プロ野球とかを考えてはなくて、でも、そもそもが「野球入学」してるし、五条の山奥の寮に入ってるしで、恋も出来ず、野球ばっかしてましたね(笑)。
それまで実家の手伝いなんてしたことなかったし、学校入って、初めて菓子を焼きましたね。授業の内容もあんまり覚えてなくて、それよりも東京に出てきて、放課後に皆でわーわー遊んでたのが楽しかったかな。
卒業後は、大阪の菓子屋に就職しました。最初の年は手が荒れてキツかったな。で、「どうしてもやりたいような事じゃない」ってのは分かってたし、でもどうしてもやりたい事なんて、簡単には見つかるものじゃないしね。で、とりあえず3年働いたかな。
その後、親友が山陰地方に10店舗くらい展開してる有名な菓子店やってて、そこへ誘ってくれて。山奥で何も考えずにがむしゃらに働くのもいいかと思って、5~6年やったかな。朝から晩まで働きっぱなしで。厳しかったです。
その後実家に戻るものの、店には入らず、配膳の色んなアルバイトしてました。バイトだと責任も重たくないし、色んな世界を覗けて楽しかったな。そこでも色んな仲間が出来たりしてね。
で、親もうすうす「店、継ぐ気ないんやろ」って分かってたたから「30歳も過ぎて、この先どうすんの」って言われてた時に、通ってた製菓の専門学校で講師をしないかっていう話が来て。
これも何かの縁やと思ったし、「東京戻りたいなー」とも思ってたし、配膳先からは「そろそろ社員になったら?」って言われてたし、、色々な縁がかみあってね。
先生になって、今で5年目。2回分の卒業生を送り出してて、卒業生たちと遊んだり、配膳時代の友達にも会ったりね。
実家の菓子屋は、これも色々あって、オーナーが現れて、ほんでもって友達の菓子職人が“和カフェ”に改装して継いでくれることになって。
自分はもともとミーハーってこともあるし、東京に出て来てよかったと思います!
今の時代は、「すぐに辞める」のも問題やと思ってて。「モチベーションの保ち方」や「脳には周期がある」とかね、そういうことを教えてあげられる学校が作りたいんよね。
まぁ、菓子でも例えばボランティアでも、何でもいいのよ。皆でワイワイ出来ればね。
今は、学校を作るための具体的な何かをしているわけではないんやけど、色んなセミナーへ行ったり、体験を通して、視野を広げながら将来のことを考えています。
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●Y取材者コメント
「どうしてもやりたい事なんて、簡単に見つかるものじゃない。」と知っていることは、とても強いと思いました。